絶滅危機に瀕した【純血アグー豚】
40年前、沖縄県に現存していたアグーは、わずか30頭でした。
昭和初期には10万頭も育てられていたのに…です。
今回はアグー絶滅から復活への歴史をお伝えします。
絶滅危機の理由は
- 戦中戦後の食糧難によって人も家畜も激減した。
- 戦後に西洋豚が流入されて養豚農家がアグーから西洋豚へと方針転換した。
- 西洋豚(白豚)とアグー(黒豚)の交雑化によって、純血種が激減した。
などです。
西洋豚にも魅力はたくさんあります。
- 生後6ヶ月で成豚になってくれる。
- アグーの2倍以上の体重に育つ。
- 子どもをたくさん産んでくれる。
まさに「質より量」の時代に社会が求めた豚ちゃんですね。
安くて美味しい豚肉は、決して豊かとは言えなかった食生活を満たしてくれました。
筆者が子どもの頃(40数年前)は牛肉なんて高すぎて、ほとんど口に入りませんでした。
「量より質」の時代に
やがて、1980年前後になると「量より質」の時代に…。
「飽食の時代」などと言われました。
時を同じくして「純血アグー」の保存に情熱を注ぐ、志しの高い先駆者が現れたのです。
沖縄本島の名護博物館の館長や北部農林高校の先生たちと聞いています。
当時現存したわずか30頭のうち18頭を高校に集めて、10年もの歳月をかけて「戻し交配」を行なったとのこと。
が、わたしが思うには、その30頭も少なからず雑種化が進んでいたのではないか?
その中でも比較的まだ若く純血に近いと思われる18頭を選んだのではないか?
と、勝手に想像しています。
館長たちによる「戻し交配」は、子孫8代に渡って実施したそうです。
これによって、ほぼ100%に近い純血アグーとして、絶滅から復活したのです。
素晴らしい功績だと思いませんか?
館長や先生たちの並々ならぬ努力のお陰で、今、わたしたちも「アグー養豚」や「しゃぶしゃぶ店」の運営に勤しむことができています。
これからも、純血アグーを主体とした産業の6次化へ向けて歩んでまいります。
執筆:広報担当 A.K
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